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  • #3

    水野晴仁 (木曜日, 04 12月 2014 10:31)

    愛教労の水野です。

    平和教育のための教材を作りましたので、ご紹介させてください。

    本教材は、戦争体験者の皆様の証言集という形を取っています。

    元関東軍第六国境守備隊の兵士であった橋詰四郎さん(豊明市在住、89歳)と、
    シベリア抑留者愛知友の会の皆様、京都市舞鶴の舞鶴記念館のご協力を頂き、
    作成しております。

    橋詰さんは、愛知県内の公立中学で戦争体験の語り部としてもご活躍されています。

    本教材では、橋詰さんがこれまでに書き留められた様々な手記と、橋詰さんが毎年
    ご自身で企画、運営されている「戦争体験を語り継ぐ会」で公演をなさった方々の、
    貴重な証言を掲載しました。


    以下のサイトにて、ダウンロードができるようになっています。
    (WORD形式とPDF形式の2種類で掲載しております。)

    http://www.geocities.jp/mizney_land/

    また、ダウンロードの方法についても、サイト内に記載しております。


    300ページ越え、20万文字の特大ボリュームですが、当時の様子を伝える写真、
    イラスト、地図などをふんだんに盛り込んでおります。

    また、各章は独立しておりまして、どこからでもお読みいただくことができます。

    原則、公文書で使われる漢字を用い、難読な漢字や言葉については、読みと意味、
    解説などを入れてあり、小学校の高学年でも読破できるように配慮しました。

    ・・・・

    内容については、以下のようなものになっております。


    第1章は橋詰さんの半生の物語です。橋詰さんの幼少期から始まっています。
    軍国時代の日本がどんな空気だったのか、そういうことも感じ取ってください。
    軍隊に入るとどうなるのでしょうか。「初年兵いじめ」といって新米の兵隊は、
    先輩兵士からボコボコにされます。軍隊生活がどんなものなのかを知ることが
    できます。日本とソ連との激しい戦争が起こりました。どうやって敵兵士を殺し、
    どうやって生き残ったのでしょうか。その様子がリアルに語られています。
    シベリアに連れて行かれ、収容所に入れられて、ロシア人といっしょに
    機関車修理工場で働く様子。多くのトラブルが発生します。
    どうやって日本に帰ることができたのでしょうか。日本に帰国したその日、
    何が起こったのでしょう。やっと帰宅して、その後どんな生活が待っていたのでしょうか。
    そういうことが全部分かります。

    第2章以降は、橋詰さんのお仲間たちの証言集です。

    第2章の証言者は、初年兵の橋詰さんを可愛がった先輩兵士です。
    これを読めば、当時、満州にいた兵士たちが、どのようにソ連軍に捕らえられ、
    どのように連行されたのか。そして、ソ連の地で、どのように労働させられ、
    多くの人々がどんな死に方をしたのか。さらに病気になった人たちがどのような
    扱いを受けたのか。そうしたことが手に取るように分かります。
    この証言をした夏梅さんは、ソ連で病気になり、中国に強制送還され、
    その後体力が回復しても帰国できず、中国で炭坑労働をさせられたという
    経歴の持ち主です。中国人兵士や中国の一般市民との交流についても詳しく書かれています。
    この章を読むと、少し中国人に対するイメージが変わるかもしれません。

    第3章は中国で生体実験(人体実験)をしてきたことを告白されている元軍医の方の証言です。
    日本人は中国でどんなことをしたのかを「加害者」としての視点から語っています。

    第4章は「初年兵」の悲劇の話です。軍隊に入って、人を殺すための訓練を受けるというのは、
    どういうことなのか。それが分かります。

    第5章は中国に軍人として7年間もいた人の話です。長い長い軍隊生活が、
    どんなに理不尽なものかを知ることができます。

    第6章は日ソ戦の死闘を、危機一髪で生き残った人の話です。
    ろくな武器もない関東軍の兵士たちが、爆弾を抱えて敵の戦車に突入する「自爆攻撃」を行う様子が分かります。

    第7章は看護婦さんのお話です。満州の病院に勤務して、傷病兵士の治療に当たっていた看護婦さんたちが、
    日ソ戦の最中にどんな活動をし、敗戦後、どうやって日本に引き揚げてきたのかが分かります。

    第8章は、当時満州にいた民間人の日本男性が、兵隊と同じようにソ連軍に捕まり、
    シベリアに連行されてしまったというお話です。

    第9章は元軍医の話です。日本軍の軍医がシベリアに抑留され、病気になった戦友をどのように治療し、
    死んでいく戦友たちとどのように関わったのかが詳しく語られています。

    第10章は元憲兵の方の証言です。日本兵としてシベリアに抑留され、その後、
    戦争犯罪人として中国に引き渡された人の話です。中国の収容所での壮絶な体験の証言には胸を打たれます。

    第11章は、極寒地シベリアで森林伐採をしてきた人の証言です。極限の収容所生活をどのようにして生き抜き、
    どのように日本にたどり着いたかが克明に語られています。

    第12章は、シベリアに何と11年も抑留されていた「初年兵」の証言です。どうしてそんなに長い間抑留されたのでしょうか。
    ソ連での裁判の様子、収容所内での囚人生活、ソ連からの引き揚げ船の最終便で帰国されたときの模様などが詳しく
    語られています。

    第13章には多くの紙面を費やしました。「黒河(こっか)事件」は、おそらくほとんどの日本人が耳にしたことがないと思います。
    ソ連に連行され、そこで病気になった人たちは、中国の「黒河」という町に送還されました。中国に棄てられた病人たちが
    黒河の収容所で起こした驚愕(きょうがく)の事件を、これほど詳しく説明した資料はないと思います。章末には、
    橋詰さんが厚生省で見つけ、コピーが許されないために3日かけて鉛筆で書き写してこられた貴重な資料も掲載しました。
    これまで表に出てくることのなかった、暗く重い証言の数々に、言葉を失うことでしょう。

    第14章は中国少数民族オロチョンに拉致され、オロチョン族として生きた日本人の話です。
    この人は満蒙開拓義勇軍として15歳で満州に渡り、17歳のときに日ソ戦に巻き込まれてソ連に連行され、
    収容所で死亡した人々の遺体をトラックに載せる仕事をやらされました。未成年であることを理由に中国に戻された際に
    オロチョン族に襲われ、オロチョン族と共に生活し、後にオロチョン族の指導者となった日本人の人生の記録です。

    第15章は、ソ連から最後の最後に日本に帰国した人の話です。敗戦直後に妻子と引き裂かれ、
    ソ連に囚人として連行されて帰国は許されず、ソ連人として生きてきた人の人生です。



    第16章は日本人従軍慰安婦の証言です。中国に渡り、日ソ戦に巻き込まれ、九死に一生を得て日本に帰国するまでの
    壮絶な足取りを語ったものです。大戦中、そして敗戦直後の中国で、慰安婦がどのような扱いを受けながら帰国したのかが
    分かります。

    第17章は、ソ連や中国から引き揚げてくる日本人たちを、京都の舞鶴港で受け入れていた地元婦人会の主要メンバーで
    「引き揚げの母」と呼ばれた女性の証言です。日本からの第一回引き揚げ船で起こった悲劇には、だれもが絶句すること
    でしょう。

    第18章には、日本人捕虜たちが帰国する際にソ連の指導者スターリンに宛てて作成した「感謝文」を記載しました。
    この資料もおそらく国内では初公開となります。無理やりソ連に連れて行かれた日本人捕虜がソ連の指導者になぜ
    「感謝」するのか、だれもが疑問に思うでしょう。この章で、そのあたりの事情を知ることができます。
    ロシアの国立公文書館に所蔵された「感謝文」の草案を、命がけで日本に持ち帰った人がいたからこそ読むことができる
    資料です。

    第19章は、全国強制抑留者協会 愛知県支部 シベリア抑留者愛知友の会が主催された「シベリア抑留関係展示会」の
    出展物を掲載しました。シベリアの抑留の「現実」を示す貴重なイラストや収容所の写真を掲載しました。
    日本人捕虜が極寒の地で用いた装備品の数々もご覧になれます。

    以上

  • #2

    dokyoso (水曜日, 18 12月 2013 11:17)

    “今”を見る視点から人間の尊厳
    檜山教職員組合 中山晴生
     12月15日(日)、「北海道子どもセンター」が主催する記念講演がありました。札幌学院大学教授の冨田充保氏が「子ども青年の生きづらさと教師の労働阻碍が結び合うところ」と題して記念講演がありました。その講演と、檜山教組に届くさまざまな「声」と重ね合わせて聴きながら、考えたことを書き記したいと思いました。

    「119104番でしかなかった」
    精神科医であり、心理学者のV・Eフランクルがナチスドイツ時代の強制収容所の体験を通じて考えたことを書いた名著「夜と霧」の中での言葉です。その中で、自分の置かれている状況を言い表す言葉として、「ただの119104番でしかなかった」と象徴的に書いています。そして、フランクルは、収容所で最も辛かったのは、「このことがいつまで続くかわからないこと、そして、自分が存在することの意味をなくすこと」(「無期限の暫定的存在」)さらに言えば、固有名詞がなくなり、番号で呼ばれることで、自分が自分でなくなることであり、かけがえのない自分ではなく、「十把一絡げ」で「ユダヤ人」でしかなくなること、いわゆる人間としての尊厳が踏みにじられることが生きる上で最も辛かったと語っているのです。氏の講演を聴き、そのことと“今”とを重ね合わせて考えずにはいられませんでした。それは、根底に流れるものが似通っていると感じたからです。
    非正規雇用・不安定雇用の拡大の中で
     「日雇い派遣の人は、『今日だけ必要で明日はわからない。ダメならいくらでも他の人がいる』という意識の中で働いていると言います。そして、非正規雇用・不安定雇用の拡大の狭間で、『いつでも取り替え可能な自分?』そして、かけがえのない存在ではない自分と向き合い、尊厳が踏みにじられる現実にさらされています。先が見えない中で・・・」と氏は講演で話されました。これは、フランクルが収容所で最も辛かった「無期限の暫定的存在」に似ている状況ではと思ってしまいました。
     勝ち組は・・・?
     また、好きな言葉ではありませんが、世間でいう「勝ち組」と思われる人たちも今かなり厳しい状況に置かれているようです。それは、働く中で、常に勝たないと尊厳が保てない状況にあるからです。視聴していない方には恐縮ですが、エリートサラリーマンの様子を描いた「半沢直樹」というドラマでは、負ければ「出向」という形で、その会社から自分の存在を消されてしまいました。ドラマですので、ここであげるのは適当でないかも知れませんが、世間では「スッキリした!」という感想が多く寄せられ、あれだけ大ヒットした背景には、「人としての尊厳をかけて、大きなものに立ち向かう姿」に共感を持った人が少なからずいたのではないかと思いました。これは、一般企業の営業として身を置いたこともある私の考えすぎかもしれません。(個人的には、あの握りしめたネジは親父の尊厳、人としての尊厳を象徴したものではないかと勝手に深読みしていました・・・。)
    「点数が低いより、高い方がいいでしょ!」という言葉に潜む落とし穴
     「点数が低いより、高い方がいいでしょ!」
    その通りです。しかし、この誰もが同意をする言葉だからこそ、見えにくい「落とし穴」があることは、現場を預かる教職員として見逃してはならないのではないかと考えます。
    一つ目は、「北海道の平均点は?」「○○町の平均点は?」「○○の平均点は?」という、教育の客観的判断をする材料の一つであるものが、「目的」となることの落とし穴です。これが目的になることで、人が育つ上で大きな犠牲を払わなければならないことは、多くの研究者も明らかにしています。「手段が目的化する」ことにならないように細心の注意が必要です。一昔前、神戸の学校で起きた「遅刻指導で生徒が命を落とした事件」は、まさしく、手段が目的化することの怖さを表したものでした。生活を整えるための遅刻指導という目的で、定刻に校門を閉めることが手段だったのにもかかわらず、その教師は、やがて、定刻に校門を閉めることが目的になり、生徒がいるのにもかかわらず、校門を閉め、その生徒の命を奪ってしまったという痛ましいものでした。このことは、教訓としても決して忘れてならないのではないかと考えています。
    二つ目は、「十把一絡げ」の落とし穴です。「北海道の点数が上がった、下がった」「○○町が平均点以上だ」という全国学力・学習調査の性格から、固有名詞の教育は出てきません。その全体としての点数を公表し、ランキングすると、当然、個人より全体の評価に目がいきがちです。必然的に固有名詞よりも全体がどうであるかということに焦点が絞られる傾向に陥りやすくなります。この落とし穴は、十把一絡げ、いわゆるフランクル氏がいう、「人間の尊厳」に関わることでもあるので、落ちてはならないような細心の注意が必要です。
    三つ目は、短期間に結果を求めがちになるという落とし穴です。そうなると、短期間で結果の出やすい繰り返しのスキル学習にシフトせざるを得ません。また、「『○○をしておくこと』『○○しなさい』『○○をやってはダメ』という『指示・命令・禁止』の言葉がけが学校の中に満ちあふれ、内実をじっくり味わう学習や子どもの内面に入って発達を援助することができなくなる」という氏の指摘は的確です。
     私は、この「全国学力・学習状況調査」が悪いものだとは思いません。「客観的データー」としての資料として必要ではないかと思っている一人です。しかし、今のやり方と結果の活用の仕方には、上述の落とし穴に落ちてしまう、いや、すでに落ちているので反対です。この教育的意味を考えた場合、悉皆ではなく、統計学上有効な数の抽出で行うべきです。
    「モンスターペアレント」に悩まされる教職員
     保護者の要求を封じるような「モンスターペアレント」という言葉を使うのは、躊躇しますが、この言葉の意味が示す親の理不尽な要求は、「教育サービスを受ける強い消費者」になっていく保護者の変容と捉えることで、理解が進むような気がします。教育を利潤追求型の路線に乗せ、「サービスを提供する側と受ける側」というもので考えると対応に追われます。そうなると、ますます多忙化に拍車がかかります。このことは私自身も苦い経験として持っています。しかし、檜山の先達から引き継がれてきた、「子どもの成長発達を教員として、親として、ともに考える共同者」として捉えることで、少しずつそこから脱却していく経験も持ち合わせています。保護者のほとんどは、利潤追求型で働いています。クレーマーという消費者に悩まされながら、過ごしている方々も少なくない現状です。「教育」をサービスと捉える方が理解しやすく、また、サービスを受ける側と考えて要求してくることは不思議ではありません。しかし、檜山がずっと大事にしてきた「子育てフォーラム」「地域の人々と共につくるふるさと学習」「地域と共に行う運動会・学習発表会」など、「子育ての共同」を大切にしていく精神は、細々とでも手放してはならないと強く感じました。
    PDCAサイクル
     Plan(計画)・Do(実行)・Check(点検・評価)・Act(改善・処置)というPDCAサイクルという手法は、悪いものではないと考えています。しかし、この手法の使い方を間違うと、危険性を孕んでいます。それは、この手法を何の「目的」で使うのかということです。今、北海道の学校現場は、その危険性に向かっています。それは、「目的」が「人格の完成をめざす」のではなく、事実上「全国平均点以上に」になっていると言っても過言ではないように思えるからです。しかも、氏がいう「P(計画)まで、決められ、D(実行)C(点検評価)A(改善)を、納得しないことを強いられている」との指摘は、今の教職員が精神的に追い込まれている内面が明らかにし、学校の現状を読み解く上で大切な視点となりました。そして、「自分は何のために教師になったのか」という使命まで駆逐し、深い精神的な労働阻碍(そがい)になることも理解できました。
     「我が子には同じ思いはさせたくない」
     保護者からよく聞く言葉です。これは今に始まったことではなく、昔からよく聞きました。しかし、氏は、それが強まってきているのではないかと指摘します。そして、「いじめをしない子・されない子にする子育て?」「他人に迷惑かけないようになる子の子育て?」など、問題が起きないこと・起こさない子どもが一番といった、結果と安全を先に求める子育てに大きくシフトしていると。その結果、子育てサークルの集まりでは、つい、「○○をしておくこと」「○○しなさい」「○○をやってはダメ」という「指示・命令・禁止」の言葉がけが満ちあふれ、子どもの内実にゆったり浸って一緒に楽しむことが少なくなっていると語りました。
      条件付き愛情
     「完璧でないと自分を認められない」「一番にならないと自分を保てない」「ちょっとした失敗や誤りを許されない、許さない」子どもたちが増えていると言います。現場の教職員として、大きくうなずきました。裏を返せば、「良い子で満点のときだけ愛される、安心できる」「惨めな自分・弱い自分、ダメな自分をみせることが許されない」いわゆる「条件付きの愛情」を受けて育ってきているのではないかと指摘しています。これは、やはり、子どもたちの将来像を考えた場合、早く結果を出し、安心したいという強迫観念にも似た心情を如実に表しているようです。このことは、「大人自身の雇用環境と労働形態の苛酷さの強まり」と切り離して考えることはできません。
     「全国平均点以上の教育政策、その先は、非正規・不安定雇用の拡大政策」の矛盾
     この言葉は、今を端的に表した言葉のように感じました。「先生、今さ、高校大学に進学させようと思ったら、お金かかるっけ・・・。家は無理だわ・・・。」「大学出ても、なかなか就職ないし、勤めた先はブラック企業ってことも、ほんとにあるし・・・」
     檜山教組の事務所に訪ねてくる若い母親がポロっとつぶやきました。そのお母さんは、やはり、子どもの将来にとても不安を抱えていました。
    学校には、「全国学テの点数をあげろ」と、なりふり構わない教育政策を押しつけ、その先は、ブラック企業の進出を許し、非正規・不安定雇用を拡大している政策をみると、そのお母さんの不安がどこからくるのかが明らかです。
      抵抗と創造
     「反対ばかりしている!」。そんな心ない言葉を聞きます。しかし、「おかしいものはおかしい」と声を上げると同時に、何がどうおかしいのかを整理することは、とても重要だと考えています。それは、その「おかしさ」がわかることで、その「おかしさ」を避けて、いや、乗り越えて、子どもの成長・発達を引き出す「創造」につながるのではないかと考えているからです。
     しかし、この多忙化が進む中、自分の頭で立ち止まって考えることは、容易ではありません。そんな折、臨床教育学研究者富田氏の今の問題を分析できるような視点を与えていただける講演は、今の暴風雨に飛ばされない「ねっこ」になるのではないか・・そう感じました。

  • #1

    斎藤正倫(網走教組) (金曜日, 10 2月 2012 18:06)

    初めてこのhpを見ました。動画にもリンクされていてすばらしいですね!
    網走教組の機関誌『ほんりゅう』もこまめに送るようにします。
    単組の交流が深まるといいですね。

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